この地域について 伝統の先に未来をみる
古くは出雲大社の領地だった鵜鷺地区———
多くの参拝客で賑わう大社から
山を隔てて真裏に位置するこの地域は、
規制や条例によって守られた伝統とは異なる、
生きた伝統が今も続いています。
神々と人、自然と人、人と人がつながり、
穏やかに紡がれつづける日常。
この地を訪れ、生きた伝統の中に流れる時を過ごし、
その延長線上にみえる未来を
あなたも感じてみませんか。
古くは出雲大社の領地だった鵜鷺地区———
多くの参拝客で賑わう大社から
山を隔てて真裏に位置するこの地域は、
規制や条例によって守られた伝統とは異なる、
生きた伝統が今も続いています。
神々と人、自然と人、人と人がつながり、
穏やかに紡がれつづける日常。
この地を訪れ、生きた伝統の中に流れる時を過ごし、
その延長線上にみえる未来を
あなたも感じてみませんか。
これまでの考古学を覆す世紀の大発見といわれた
出雲地方から大量に出土された弥生時代の青銅器。
一説には、その原料となった銅は、
鵜鷺地区で採掘されたと言われています。
実際、ここの鉱山では昭和初期に閉山されるまで、
その時代時代にさまざまな鉱物が採掘され、
地域経済を潤してきました。
これまでの考古学を覆す世紀の大発見といわれた
出雲地方から大量に出土された弥生時代の青銅器。
一説には、その原料となった銅は、
鵜鷺地区で採掘されたと言われています。
実際、ここの鉱山では昭和初期に閉山されるまで、
その時代時代にさまざまな鉱物が採掘され、
地域経済を潤してきました。
北前船が全盛を極めた江戸から明治、
山々が港を包み込むように守り、
柏島が自然の堤防の役割を果たすこの入江は、
全国から集う船乗りたちを荒波から守る
“風待ちの港”として栄えました。
現在も家々の玄関に掲げられた屋号や
宿泊施設だった大きな木造建築が
古い町並みとともに残っています。
明治時代に入り鉄道による陸路の発展は
港町を辺境の地へと一変させます。
その独特な地形と山によって
繁栄し衰退した町は、
時が巡り、
近代化の波によって多くの地域で失われた
日本らしさを体験できる
希少な地域として、新しい顔を現しはじめています。
鵜鷺では、古来からの製法が継承される
2つの生業が残されています。
様々な人の手を必要とし、
効率とは無縁のその長い作業工程は、
本来の日本文化の在り方を
私たちに感じさせます。
6月に海から刈り取られたアラメは、
天日で乾かした後、
海に戻し、
再び天日干しされ、
江戸時代からつづく木造の工具で圧縮。
圧縮した状態をカンナで削り出し、
薪をくべて釜で湯がき、
再び海水で洗い、
さらに天日に干されて完了します。
幾重にもわたる独特の工程を経て
食卓に上がる食材となります。
出雲沖の水深5mから組み上げた海水に
同じ海から採れたアラメを加え、
手作りの釜で二日二晩かけて炊き上げ、
乾燥させます。
まだ荒い塩の結晶を乾燥させる工程で、
4度にわたって揉みほぐし、
鵜鷺ならではのなめらかな塩を完成させます。
海のミネラルと旨味をたっぷり含んだ藻塩は、
料理人をはじめとした多くの人々に愛され、
全国へと出荷されています。
鵜鷺が出雲大社領だった頃、
ここは神々に供える新鮮魚介を奉献する
厨房的存在のひとつでした。
良質な魚介に恵まれた島根半島の海。
現在も鵜鷺の主要産業は漁業であり、
ここの暮らしは、
常に海とともにあります。
鵜鷺の魅力は、
目に見えないものや
見えづらいところに紡がれています。
ここに暮らす人に出会い、
写真には写らない鵜鷺を体験できる
プログラムをご用意しています。
北前船のなかでも輪島地方から来た船頭を迎えた宿、輪島屋――――。
入江を一望できる客間の縁側に座ると、
静かな波音が聞こえます。
横にそびえる山からの鳥の声、虫の声。
黄昏れの時間が終われば満点の星空、
季節によって鑑賞できる、夜光虫(海ホタル)や漁火。
宿を一歩出て、近隣の人たちと出会えたら、
まるで昔から知り合いだったような、
親しみのこもった会話が始まるかもしれません。
朝に夕に、非日常のひとときをゆったりと味わえる
贅沢な時間をお楽しみください。